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上杉鷹山 

 

 

 

 

 

 

 

上杉鷹山

上杉鷹山 (米沢藩の藩主)  

   「なせばなる、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。」の原作者で 

   名君とうたわれていますが 仕事のコツについて 次のような教えを説いたと言われています。

  働き      一両

  考え      五両

  知恵借り    十両

  コツ借り    五十両

  ひらめき    百両

  人知り     三百両

  歴史に学ぶ   五百両

  見切り     千両

  無欲      万両 

 上杉鷹山の人となり

  後嗣となってから尾張出身の学者細井平洲を学問の師とし、17歳で元服。

  1768年(明和4年)に米沢藩を継いだ。

  産業に詳しい 竹俣当綱 や財政に明るい 莅戸善政を重用して、先代からの家老らと対立しながらも、

  自ら倹約を行って畑を耕し、帰農を奨励し、作物を育てるなどの民政事業を行った。

  凶作や浅間山噴火などから天明の大飢饉の最中で、東北地方を中心に餓死者が多発していたが、

  非常食の普及や藩士・農民へ倹約の奨励など 対策に努めた。

  祖父が創設した学問所を、藩校・興譲館(現山形県立 米沢興譲館高等学校)として再興させ、藩士・

  農民など、身分を問わず学問を学ばせた。

  これらによって破綻寸前の藩財政を建て直し、次々代の斉定時代に債務を完済したとされる。

                                                      

                                                    文責 齋藤陽一郎