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人形町の由来

 

  人形町からオフィスは移転しましたが、味のある町でした。

 江戸時代のはじめ、この町に 市村座、中村座が建って繁栄し、 浄瑠璃の伴奏で

  手軽に楽しめる操り人形小屋や浄瑠璃芝居の小屋があったそうです。

  付近には 人形を製作し、修理する人や、舞台で人形を操る人形師が大勢暮らしており

  人形を売る店が数多く有ったため、いつしか人形町と呼ばれるようになりました。

  正式には 関東大震災以降の区画整理で 昭和8年に人形町の町名となっています。

 今でも昔ながらの趣のある商店街が存在する一方、モダンな姿も持ち合わせた

  街並みです。

 火の見やぐらデザインの時計台や、かぶき門をあしらったバス停、明治時代のガス灯

  を真似た街路灯が「ここは下町人形町」という表現にぴったりです。

 江戸時代の人形町付近は、北部が町人の町、南部の蛎殻町近辺は大名屋敷や広大な

  武家地でした。

 この界隈(現在の 2 丁目周辺)にはと言われています。また、玩具・錦絵などを

  扱う商家も多く、正月の羽子板、 3 月の節句の雛人形、 5月の菖蒲人形など季節

  ごとに市がたち、年間をとおして人々の賑わいの絶えない街でした。

 かつて浅草方面に移転する前に 吉原の遊郭があったのもこの界隈だそうです。

 水天宮の門前町でもありました。明治時代には 芳町の花柳界、料亭街としても

 栄え、現在も人形町大通り、甘酒横丁など、独特の雰囲気が色濃く残って活気溢れる

 町です。

 和服仕立て屋、三味線屋、つづら屋などの古いお店も現存しています。

 「おとみさん」 の歌謡曲でも有名な「玄冶店」(げんやだな)も人形町ですが、

 江戸時代、ここに医者 岡本玄冶(1587年〜1645年)が住んだことに由来

 しており、歌舞伎「与話情浮名横櫛」の舞台ともなっています。玄冶は幕府の医官で

 、将軍家光が痘瘡を病んだ時、見事にこれを全快させた名医だそうで、子孫も

 九代にわたり この地でその名跡と職を継ぎました

                                              文責 齋藤陽一郎